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円通寺

円通寺は、明治39年に伊万里円通寺の師家であった赤井義勇老師が「円通寺別院」と称し、布教所を設立したのが始まりとされます。大正8年に武雄市高峰寺より実森誠郎和尚を懇請し迎えて住職としました。誠郎和尚は、堂々たる体格持ち主でしかも無邪気な一面を持ち人々に親しまれる人柄でした。臨済宗布教界の草分けとも云われた鎮西布教団を組織して布教使の育成に努められました。第二世には、実森慶森の甥で徒弟でもあった多久市出身の福山正道和尚が就きましたが、住職になってすぐ第二次大戦に召集され戦死。昭和20年にはB29の爆撃により円通寺も全焼。その後、第二世正道和尚の妻 清野の尽力により、仮本堂、庫裡が建立されました。昭和26年、第三世の香林和尚が入寺の際に佐賀の法縁寺院の観音像(1912年中国の僧、義完一空作)を円通寺の本尊像として移しました。昭和48年には現在の納骨堂、本堂を建立。平成16年には現在の庫裡が建立されました。隣接する「松円幼稚園」では、アットホームな雰囲気の中で毎日子供たちがのびのびと過ごし、元気な声が境内中に響いています。現在、第5世泊浩道和尚。