本堂
納骨堂
照光寺(しょうこうじ)は、明治三十五年、佐賀県・長瀬町にあります照光寺さまの説教所として、当時の下京町の地にて、田中洗心師が布教活動を始めたのが開基となります。昭和十三年、現在の稲荷町の地に移転し、佐賀の照光寺さま、ご門徒の皆さまのご尽力のもとに本堂を建立。寺号を照光寺と公称して、田中洗心師が照光寺第一世住職に就任いたしました。昭和十七年、田中洗心師の急逝に伴い、弟の田中一誠師が、当時の満州・本願寺新京別院を退職して佐世保に帰国後、第二世住職を継職致しました。戦時中の昭和十九年、国道35号道の整備に伴い境内の一部が国有化。昭和四十二年、この年の7月豪雨の水害で境内の一部が浸水被害に遭います。昭和四十四年、納骨堂鉄筋二階建の落慶を行いました。昭和六十年、田中一規師が第三世住職を継職し、翌年に継職祝賀事業として、玄関・庫裡を新築落慶、駐車場の整備。平成十四年、本堂の天井板・屋根瓦総葺き替えを行いました。平成十八年、隣接地の土地を購入し駐車場の整備。多くのご門徒の皆様のご尽力により、現在の照光寺伽藍を護持するに至っております。平成二十八年、田中一貴氏が第四世を継職し住職を勤めております。
本堂
戦前に建立された本堂は、佐世保大空襲などの戦禍を免れ、佐世保市内でも数が少ない木造建築で、定期的にメンテナンスを行い護持しております。
納骨堂
開基は、初代住職 釋幸良が残した「聞蔵寺永代録」によりますと、遠く大分の地において、1635年、慈雲院貞隆宝居士が始まりとなっております。
第一世貞隆が大分の地において、空を庵主とし、名号宝寿庵を建立し、以下歴代の住職の名があり、第十一世幸良が、昭和12年、佐世保市小佐世保町に聞蔵寺説教所を建立し、昭和16年、宗門法施行に依り、聞蔵寺布教所となりますが、昭和20年、大空襲により、建築物並びに御本尊 阿弥陀如来像が焼失しました。その時の心情を幸良は、「残愧に堪へず 永劫に内省し 益々報恩感謝すべし」と残しています。翌年21年、白木町公会堂を借入して、本堂とした後、浄土真宗本願寺派本山より、松富山聞蔵寺と承認されたと記されています。
そして、第二世釋信良へと引き継がれ、昭和57年11月、本堂、納骨堂落慶、平成11年に梵鐘、平成13年に庫裏が完成しました。
平成23年、第三世釋幸舟の代となり、平成25年3月聞蔵寺会館の完成と続いております。
遠く大分の地にそのはじまりをみる聞蔵寺が、第十一世釋幸良の代に、大分聞蔵寺(現在も大分市にあります)を弟に譲り、縁があって単身佐世保で初代住職として当寺を開き、私で三代目となります。
聞蔵寺永代録の中で、聞蔵寺の歴史と変遷を伝える初代住職の一文字一文字は、喜びと苦難、自らと家族、有縁の方々の血と汗と涙、そして笑顔のこめられた一文字一文字です。
第二世へと代は変わり、私の父である釋信良の文字も力強く記されています。
浄土真宗という、たのもしきみ教えに支えられた歩みの姿を感じつつ、三代目の私は、礎の上に立って志を高く、念仏者として、どんな文字も書き記していこうと思います。(釋幸舟)
本堂
聞蔵寺会館
納骨壇